ふじゆう
年を重ねてからというもの、なんとなく一般的な理想像と自分とは違って五体満足なのに心が不自由なことに気がついた。 いつのことからか、わからないけれど、人の気持ちをあまり受け止められなくなってるような気がする。 感じても体が受け止めようとしない。 これはまずいなーと思う。 きっと言葉に出さなくてもその仕草は第三者の違和感として視覚の端っこに感覚として残り、積もり積もってそのうち、私に違和感を感じるようになりそう。 と不安になったので、なんとなく私の感覚の端っこで、直したいなぁとは意識している。 先日、場の空気を読んで人の気持ちをきちんと受け止めている事を、少しの仕草で示している人をみた。 その態度、仕草、タイミングは場の雰囲気を和ませ、それを見ていた自分の視覚によって「信頼できる人」と脳が考えていた。 初めてこんなきめ細やかな人を見たけれど、態度で相手にさり気なく示すことは、コミュニケーションとしてとても大切な事なんだと気づいた。 私の心が開いている時と、閉じている時。 その瞬間の差はなんだ。 そのくせ、高潮してオープンになり過ぎる時とかもう目も当てられない。 私という不思議… つづく