元品の無明は自己の中にもあり
御書を知りたいと最近よく考えています。
もっと自分たちの現状に照らしあわせて、自分の言葉で話すようにできれば、物事を見通す目が培われていくかもしれないと考えて、はて、どうやって学んだらよいだろうと悩んでいました。
大百も勿論勉強になるのですが、丁度手元にあった「世界一の生命哲学を学ぶ―池田華陽会御書30編要文100選
」を読んでみたら、見開き2ページで完結!かつわかりやすかったので、長い文章をまとめる根性が今のところない私には助かる!(笑)

ということで、できるだけ毎日、、、、?自分の言葉で噛み砕いた感想を書いていこうと思います。
なお、本書には悩みカテゴリごとの一覧がついていて、そのテーマに照らしあわせて参照することができるのですが、きりがないので、このブログでは純粋に御書の内容のみにさせていただきます。
一覧表を見たければ、本屋さんで立ち読みするか、購入をお勧めします。
間違っていたら是非ご指摘をお願い致します。。。
【no1】「世界一の生命哲学を学ぶ 」 より p20
当時の日本は天変地異や疫病、飢饉が蔓延していて、馬がそこら辺で野垂れ死んでいたり、見るからに酷い有り様だったようです。そんなことがあったんですね。
そこで、時の政府が法然というお坊さんに念仏の祈祷を唱えさせていました。
しかし、念仏の解釈というのは、「死んだら極楽浄土へ行けるカモシレナイ」つまり、現世では諦めろ、という教えでした。
そうやって、人々に諦めの心を植え付け、生命力をなくす教えだったのです。だから、大聖人はまずその間違った教えの祈祷をやめなさい!と諌めたのです。
そもそもの考え方の根本が間違っているその「一凶」を改めなさいと。
そして、現代で言うと、実は私たちの中にも「一凶」はあるんです。
・どうせ・・・諦め
・自分なんて・・・・自己卑下
・自分さえ・・・・エゴ
このような思想が発展すると、自分を否定するだけでなく、他者が受け入れられなくなり、不信や蔑視が生まれてしまいます。
まずは、自分の中にあるその心を打ち破っていかなくてはならないですね。
きっと、こういうことって、自分が落ちたレベルの時でも、どんどん努力していって、這い上がって社会的に偉くなって地位があったりしても、絶対について回る思考ですよね。
俺なんてダメだ、とか
あいつのせいだ、とか・・・・
考えただけで、恐ろしいですね。めっちゃ、言いそうです私。(爆)
心が弱い時って、どうしても自分が認められなくて、他者も認められない。
最近は、強がっている時も、実は自分の心の中は「一凶」があるかもしれないと考えていました。
自分を正当化しなければならない立場に立っている時。
でも、必死過ぎて自分で悪いと気がつかない時。。
難しいです。。。
だから、できるだけ常識的な生き方で、誰とでも仲良く、受け入れられる自分で居たほうが徳ですね。
常識的っていうのは、それぞれで違うと思うので、ここではざっくり考えていただければいいと思います。
そう、今この夜中なのにビールを呑みたいと思っている私は常識的ではない気がしています。(爆)
今我慢して、明日早起きした方が、絶対徳だと思うもん。
スッキリ早起きしてやることやった方が、精神的に楽。
あー、でも呑みたい自分がいるわよ。
自分の中の「一凶」を攻められる、ということは、強い精神力を持っていないとできないものです。
そういうポジティブさを楽しく明るく持っていきたいものです(^o^)
じゃあどうしたらよいか。
ちゃんと御書には書いてあります。
「元品の無明を対治する利剣は信の一字なり」(御書751p)
明快すぎます!
「がんぽんのむみょう」とは、自分の気持ちが何が何だか分からないとか、真っ暗とかそんな状態です。まさに明かりが無くてどちらへ行ったらいいか分からずさまよっている状態。
それを打ち破るのは信じるという気持ちなんだと。
自分を信じる。
相手を信じる。
自分や相手を信じられる自分になっていく。
それが自分の中の一筋の光であり、道になっていくんですね、きっと。
そうやって人生を一歩一歩構築していけるようになれば、必ず自分も、周りも変わっていくでしょうね~~!
いいな、いいな!そんな人生素敵だね!
よし、私もビール呑まないで寝ます!(笑)
もっと自分たちの現状に照らしあわせて、自分の言葉で話すようにできれば、物事を見通す目が培われていくかもしれないと考えて、はて、どうやって学んだらよいだろうと悩んでいました。
大百も勿論勉強になるのですが、丁度手元にあった「世界一の生命哲学を学ぶ―池田華陽会御書30編要文100選
ということで、できるだけ毎日、、、、?自分の言葉で噛み砕いた感想を書いていこうと思います。
なお、本書には悩みカテゴリごとの一覧がついていて、そのテーマに照らしあわせて参照することができるのですが、きりがないので、このブログでは純粋に御書の内容のみにさせていただきます。
一覧表を見たければ、本屋さんで立ち読みするか、購入をお勧めします。
間違っていたら是非ご指摘をお願い致します。。。
【no1】「世界一の生命哲学を学ぶ 」 より p20
如かず彼の万祈を修せんよりは此の一凶を禁ぜんには
(御書24p3行目~4行目 立正安国論)
訳;災難を根絶するにはあの万の祈りを実践するよりは、念仏のの一凶を禁ずることにこそ、最も大切なことなのである。
当時の日本は天変地異や疫病、飢饉が蔓延していて、馬がそこら辺で野垂れ死んでいたり、見るからに酷い有り様だったようです。そんなことがあったんですね。
そこで、時の政府が法然というお坊さんに念仏の祈祷を唱えさせていました。
しかし、念仏の解釈というのは、「死んだら極楽浄土へ行けるカモシレナイ」つまり、現世では諦めろ、という教えでした。
そうやって、人々に諦めの心を植え付け、生命力をなくす教えだったのです。だから、大聖人はまずその間違った教えの祈祷をやめなさい!と諌めたのです。
そもそもの考え方の根本が間違っているその「一凶」を改めなさいと。
そして、現代で言うと、実は私たちの中にも「一凶」はあるんです。
・どうせ・・・諦め
・自分なんて・・・・自己卑下
・自分さえ・・・・エゴ
このような思想が発展すると、自分を否定するだけでなく、他者が受け入れられなくなり、不信や蔑視が生まれてしまいます。
まずは、自分の中にあるその心を打ち破っていかなくてはならないですね。
きっと、こういうことって、自分が落ちたレベルの時でも、どんどん努力していって、這い上がって社会的に偉くなって地位があったりしても、絶対について回る思考ですよね。
俺なんてダメだ、とか
あいつのせいだ、とか・・・・
考えただけで、恐ろしいですね。めっちゃ、言いそうです私。(爆)
心が弱い時って、どうしても自分が認められなくて、他者も認められない。
最近は、強がっている時も、実は自分の心の中は「一凶」があるかもしれないと考えていました。
自分を正当化しなければならない立場に立っている時。
でも、必死過ぎて自分で悪いと気がつかない時。。
難しいです。。。
だから、できるだけ常識的な生き方で、誰とでも仲良く、受け入れられる自分で居たほうが徳ですね。
常識的っていうのは、それぞれで違うと思うので、ここではざっくり考えていただければいいと思います。
そう、今この夜中なのにビールを呑みたいと思っている私は常識的ではない気がしています。(爆)
今我慢して、明日早起きした方が、絶対徳だと思うもん。
スッキリ早起きしてやることやった方が、精神的に楽。
あー、でも呑みたい自分がいるわよ。
自分の中の「一凶」を攻められる、ということは、強い精神力を持っていないとできないものです。
そういうポジティブさを楽しく明るく持っていきたいものです(^o^)
じゃあどうしたらよいか。
ちゃんと御書には書いてあります。
「元品の無明を対治する利剣は信の一字なり」(御書751p)
明快すぎます!
「がんぽんのむみょう」とは、自分の気持ちが何が何だか分からないとか、真っ暗とかそんな状態です。まさに明かりが無くてどちらへ行ったらいいか分からずさまよっている状態。
それを打ち破るのは信じるという気持ちなんだと。
自分を信じる。
相手を信じる。
自分や相手を信じられる自分になっていく。
それが自分の中の一筋の光であり、道になっていくんですね、きっと。
そうやって人生を一歩一歩構築していけるようになれば、必ず自分も、周りも変わっていくでしょうね~~!
いいな、いいな!そんな人生素敵だね!
よし、私もビール呑まないで寝ます!(笑)
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