自分の幸せを掴むためには
北海道は黄土色の世界。雪が溶けて地面が一面見え始めました。これから沢山の命が芽吹きます。なかなかこの瞬間の時期が好きだったりして。
近所の広場は季節によって咲く花が違うので、草花が咲き誇るのも楽しみです。
空き地というか、たんなる共有広場なのですが、タンポポなどの、いわゆる「雑草系」の花が、広い場所一面に咲くと綺麗です。
誰が種を蒔いたわけでもないのに、季節で違う景色が見れてとても不思議な気持ちになります。
本日も学んでいきます。
【no4】「世界一の生命哲学を学ぶ 」より p26
近所の広場は季節によって咲く花が違うので、草花が咲き誇るのも楽しみです。
空き地というか、たんなる共有広場なのですが、タンポポなどの、いわゆる「雑草系」の花が、広い場所一面に咲くと綺麗です。
誰が種を蒔いたわけでもないのに、季節で違う景色が見れてとても不思議な気持ちになります。
本日も学んでいきます。
【no4】「世界一の生命哲学を学ぶ 」より p26
汝須らく一身の安堵を思わば先ず四表の静謐を禱らん者か
(御書31p 18行目 立正安国論)
訳;あなたは、自分自身の安泰を願うならば、まず世の中の平穏を禱ることが必要ではないのか。
++++++++++
ここでいう、「一身の安堵」とは、「自分の幸せ」であり、「四表の静謐」とは、東西南北、すなわち自分の周りのことや、社会全体の事を指します。
この時代には、今に生きる意味を見出さない念仏が広まっていたことから、人々の生きる力が衰弱しており、「自分だけが助かりたい、幸せになりたい」という救いを求めている人が多かったそうです。
冷静に考えてみると、自分が幸せに暮らせているのは、周りの環境が平和であることの恩恵です。
私はよく、会社の事を考えます。
行きたくないなーということもあるでしょう。
嫌いな人がいる時もあるでしょう。
嫌な仕事を押し付けられることもあるでしょう。
しかしながら会社があるから働ける。
会社の経営状況がいいからお給料がもらえる。
一緒に働いている仲間たちが、元気でいる、人が足りているからこそ、自分の仕事を遂行することができる。
のですよね。
これが、
同僚が急病になって、自分の仕事が倍になった、とか
部署がなくなって、異動させられた、とか
会社の経営状況が悪くなって、倒産してお金を払ってもらえない、とか
そんなことになったら大変ですよね。
私は、自分が所属している会社が倒産したことがあります。
倒産しても、社員の給料は一番最初に保証されるので、最終的には目処がつけば真っ先に支払われるのですが、その金額が確定するまで何ヶ月かかかる時もあります。
そうなると、働いているのに収入がなく、貯金で暮らさなくてはなりません。
そんなわけで、一時期とても大変な状況になったことがあり、苦労しました。
==============
社会の平穏と繁栄があってこそ、はじめて各人の幸福な生活が実現できるのです。大聖人は社会に背を向ける生き方を厳しく戒められ、社会の平和に尽くすことが仏法の目的であり、そこにこそ、真実の幸福があると教えられています。
「世界一の生命哲学を学ぶ 」 より引用p27
============
また、とある職場の環境が悪く、行きたくないと思いながら仕事をしていたことがありました。
社員にはやる気がなく、サボろうという魂胆が見え見えの状況で、一人黙々と仕事をしました。
なぜなら、サボるという行為に「自分自身の向上」というものを感じられなかったから。
そんな気持ちで時間を過ごすことは結果的には、自分自身が損しているだけです。
私は「私が辞めて困ったと思われる位、まじめにやろう。人一倍仕事をしよう」と考えて、仕事をしていました。
色んなことがありましたが、その職場に感謝しています。
私が「負けない!」と思いながら仕事ができたし、沢山の事を学び、成長できたと思えるからです。
参考書籍
「世界一の生命哲学を学ぶ 」


訳;あなたは、自分自身の安泰を願うならば、まず世の中の平穏を禱ることが必要ではないのか。
++++++++++
ここでいう、「一身の安堵」とは、「自分の幸せ」であり、「四表の静謐」とは、東西南北、すなわち自分の周りのことや、社会全体の事を指します。
この時代には、今に生きる意味を見出さない念仏が広まっていたことから、人々の生きる力が衰弱しており、「自分だけが助かりたい、幸せになりたい」という救いを求めている人が多かったそうです。
冷静に考えてみると、自分が幸せに暮らせているのは、周りの環境が平和であることの恩恵です。
私はよく、会社の事を考えます。
行きたくないなーということもあるでしょう。
嫌いな人がいる時もあるでしょう。
嫌な仕事を押し付けられることもあるでしょう。
しかしながら会社があるから働ける。
会社の経営状況がいいからお給料がもらえる。
一緒に働いている仲間たちが、元気でいる、人が足りているからこそ、自分の仕事を遂行することができる。
のですよね。
これが、
同僚が急病になって、自分の仕事が倍になった、とか
部署がなくなって、異動させられた、とか
会社の経営状況が悪くなって、倒産してお金を払ってもらえない、とか
そんなことになったら大変ですよね。
私は、自分が所属している会社が倒産したことがあります。
倒産しても、社員の給料は一番最初に保証されるので、最終的には目処がつけば真っ先に支払われるのですが、その金額が確定するまで何ヶ月かかかる時もあります。
そうなると、働いているのに収入がなく、貯金で暮らさなくてはなりません。
そんなわけで、一時期とても大変な状況になったことがあり、苦労しました。
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社会の平穏と繁栄があってこそ、はじめて各人の幸福な生活が実現できるのです。大聖人は社会に背を向ける生き方を厳しく戒められ、社会の平和に尽くすことが仏法の目的であり、そこにこそ、真実の幸福があると教えられています。
「世界一の生命哲学を学ぶ 」 より引用p27
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また、とある職場の環境が悪く、行きたくないと思いながら仕事をしていたことがありました。
社員にはやる気がなく、サボろうという魂胆が見え見えの状況で、一人黙々と仕事をしました。
なぜなら、サボるという行為に「自分自身の向上」というものを感じられなかったから。
そんな気持ちで時間を過ごすことは結果的には、自分自身が損しているだけです。
私は「私が辞めて困ったと思われる位、まじめにやろう。人一倍仕事をしよう」と考えて、仕事をしていました。
色んなことがありましたが、その職場に感謝しています。
私が「負けない!」と思いながら仕事ができたし、沢山の事を学び、成長できたと思えるからです。
参考書籍
「世界一の生命哲学を学ぶ 」
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