創価大学通信教育部を卒業して変わったこと


 創価大学通信教育部を卒業してもうすぐ1年が経とうとしている。

今年のお正月は、いつぶりか思い出せないくらいゆっくりとした時間で、何も考えずにやりたいこと、好きなことを淡々としていた。世の中がこんなに幸せなお正月を過ごしている人が多いのかと、驚きを感じた。

その気持ちと同時に、多くの人がゆっくりと休んでいるこの年末年始に、レポートに集中し、学び研鑽の時間を過ごしている通教生の素晴らしさを思い知った。私の昨年は、あんなに計画を立てて自分を追い込んだのに、まだ卒業が確定しておらず、1月のテストを絶対落とせない状況だった。万全の準備を進めると共に、卒論の色々で頭を抱えていて、精神的にしんどかった時期だ。

その後、卒業が確定し、思いがけない出来事を引き受けることもあって、卒業後までずっと緊張感が続いたけれど、卒業認定によって全ての苦労が昇華されたように思う。なんとも言えない感覚がそこにあった。

卒業式は何度かスタッフとして体験させていただいたこともあるが、自分の卒業式は全く感覚が違った。先に卒業した先輩たちが「卒業式は必ず出席した方がいいよ」という意味を噛み締めた。

そこから昨年は生活や仕事の環境が一変した。ずっとこのままではダメだと思っていたので、昨年のタイミングを逃すことができなかった。沢山の人を驚かせてしまったけれども、私はその変化に踏み出すことを決めた。踏み出した苦労もあるがまた驚きもある。

仕事では、文学部で培った文献から調査、分析、要約する力は仕事にとってかなり必要なスキルであると改めて感じた。業務的には今までと変化がないのだけれど、たまたまプレゼンをする機会が増えてきたこともあり、調査能力が役に立っている。卒論で身の丈にあっていない論題を選んでしまったことで、脳みそから血が出てるんじゃないかと思うくらい考え抜いたおかげで、多少の難しい文章も読んで考えることができるようになった。しかし、業務では難しいことを難しく議論するのではなく、現場の状況を俯瞰しながらどのように現状を進化させるかをわかりやすく伝えなければならない。そこには、現場の分析力が問われる。

通教で出会った人々とのコミュニケーションや、日常の仕事と生活と勉強の壮絶なやりくり(笑)は、状況判断のスキルも知らないうちに向上しているようだ。以前ならば自分を押し通すことがあったかもしれない状況も、今は状況にあった判断を自問するようになった。

通教で培った学問の研鑽や、卒業までの苦労は全て己の血肉となり社会に還元できる自分に少しはなったのだと思う。そして知識だけではなくて、仲間という一生の財産も大きく獲得することになった。

最近、「人間教育」という意味がやっと腑に落ちてきたように思う。在学中は、恥ずかしながらその意味を考えても良くわからなかった。卒業という成功体験が私を変え、周りの人の私への眼差しを変えた。さらに全く興味を示さなかった両親まで、私が驚くほど感激してくれて、「ちょっとは親孝行できたかな」なんてしみじみと感じた。勉強だけではなくて、心も磨くことができた創価大学の通信教育は私の一生の宝の時間だと思う。そして、今では創価大学に行かなかった人生が考えられないほどに、内面が大きく変わったと感じる。

だから、今通教をやろうか考えている方は、やった方がいい。お金も時間もなんとでもなる。決めるか、決めないかの問題だ。通教を卒業する苦労はそれなりにあるが、苦労以上の大きなものを必ず得ることができる。えいやっと、一歩踏み出しちゃえばいい。

そして、卒業に向けて頑張っている、苦しんでいるあなた。あなたは絶対に卒業できるよ。永遠のように感じる孤独も、焦燥感も、人知れず涙した夜も、卒業した時に全て自分の力となる。振り返った時に、経験した労苦が良かったと思う日が必ずやってくる。

全てが美しい時間だったと感じる時が必ず来る。

そういう風に思わせてくれる大学ってなかなかないんじゃないかと思う。


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